2011/03/09

新橋

ガード下へ。
場末感漂う店がいくつもある。独特の魅力がある。
昼下がりの通りにスーツを着た男が水のようなものを吐いている。
生活の汚濁にまみれた飲み屋街からは清潔な時事通信社が見える。
彼らもここに来るのだろうか。

汐留。
スカートの長い修学旅行の一団が電通のビルを見上げ
「エレベーター速い!いみわかんない」
と言う。女の子ばかりで女子校かと思ったが、
最後尾には4,5人の男子がいかにもつまらなそうにうつむきながらついてきている。

私は緊張とコーヒーの飲みすぎで気分が悪かったので日テレそばのタリーズコーヒーへ行った。
そこには就活生とサボリーマンしかいなかった。
堕落と自己卑下の気配がしたが、彼らは互いに許しあっているように思えた。
私は自分の将来について考えた。

プロとコントラ

大審問官とは、カラマゾフの兄弟「プロとコントラ」にてイワンの口から語られる小説内小説。
大審問官(枢機卿)とキリストの考えの違いについての話。

大審問官は人間への愛故に民衆を支配し、彼らを救う。「オレらに従えば、パンにありつけるよ」
キリストは人間への愛故に民衆に自由を与える。そして、信仰表明(Yes Christ)した者を救う。「あなた達(の信仰)は自由だ。それでも私を信じるなら、世界の終わりに救われる」


「地上のパンか、天上のパンか?」がテーマ。これはかなり宗教的だが、もう一段さげて
「支配か、自由か?」と考えると、とても普遍的なテーマであるように思う。

大審問官の台詞で印象的なもの。
「選択の自由という恐ろしい重圧におしひしがれた人間達が〜(略)〜お前の真実にも異議を唱えるようになる」
「自由というあれほど恐ろしい贈り物を受け入れることができなかったからといって、このか弱い魂のどこが悪いというのか?」

自由は弱い人間、つまり、何を為すべきか自分で策定できない人間にとって苦痛であると言う。これはとても身近な問題だ。

例えば就職活動。
リクナビに登録すれば、眼前には7000〜8000の企業がずらりと並ぶ。自由に選べ。普通の人はそんなことできっかよ!と異議を唱えることとなる。
「プロとコントラ」流に言えば、リクルートはキリスト的だ。
迷える就活生が「Recrute the Christ」と信仰表明したところで彼らは地上のパンも天上のパンも保証することはないだろう。それは無責任ではない。彼らは神の子ではない。

電通広告年鑑09-10・インタラクティブ・メディアの項には、情報の自由化によりユーザーの負担が増加したのでそれらの秩序化が必要だ、と書かれている。
リクルートとは逆の方向性だ。

2011/02/17

芥川賞選評コメント


限りなく透明に近いブルー
「芥川賞の銓衡委員をつとめるようになって三十七回目になるが、これほどとらまえどころのない小説にめぐりあったことはなかった。それでいてこの小説の魅力を強烈に感じた。」「若々しくて、さばさばとしていて、やさしくて、いくらかもろい感じのするのも、この作者生得の抒情性のせいであろう。」「二十代の若さでなければ書けない小説である。」(丹波文雄


丹波文雄は慧眼だ。
確かに村上龍のその後の作品は、限りなく~とはかなり違う。
もろさがあんまりない(気がする)。醒めたマッチョのような感じになっている。

コールドプレイもファーストは、もろもろしく、水水しかった。
若さと引き換えなのか。そういうものは。

2011/02/16

劇のネタ

「世界革命!プリキュア」


ディー室に渦巻く罪

暴食(誰かのおみやげをいくつも食べる)
色欲(ハーレムバンドばっか組む)
強欲(譜面立を同時に二つ使って作業)
怠惰(毎日同じ服を着てドラムをたたきにくる)
嫉妬(同級生女子を先輩に誘惑された一年生男子)
傲慢(ジャズってかっこいい、ジャズやる俺もかっこいい)
憤怒(合唱団むくどり)

革命する3人のプリキュア!
キュア自由、キュア平等、キュア博愛
憤怒(むくどり)以外の罪をひとしきり踏んだ後ギロチンにかける。
「自由と平等と博愛の精神に照らし合わせるとぶっちゃけありえない!」

全員倒したあと、ディー室に革命的な瞬間が訪れる
そこにはむくどりがのびのびとさえずるサンクチュアリがあったという

エンディングテーマはラ・マルセイエーズ(アカペラ)

six hearts princess


音声付

kaikaikiki作。
額の漢字がかっこいい。作者は、怪物が吐くシーンにこだわったそうです。



heart catch pretty cure

プリキュアのクオリティーすごい。


キュアロスローリエン?

2011/02/15

村上隆と理念について

村上隆 「芸術起業論」

村上隆さんはとてもしたたかな人だ、とぼんやりと思っていた。しかしそれは、こっぱずかしいとも言える人生上の問題から–––おれって何なんだろう、とくよくよ悩む中高生のような、沢山の人が素通りしてしまうようなものがエンジンとなっている。

自分も薄々気付いておきながら素通りしそうになっていたが、理念というのは、ある種のひとびと、コーヒーを好んだり、本を横向きに積み上げる癖があったり、自分の悩みと宇宙の大きさを比べておれはなんとちっぽけなんだと考えた次の瞬間に俺は自分を騙してはいないか?と疑うようなひとびとには大事なのだと思う。

理念の設定に正誤は無い。あくまで立場の問題だ。人参は食べるがピーマンは拒否する、というのと変わらない。

なので理念設定は自分の欲望に従うのが自然だ。しかしそれは易々と見えるものでは無い。村上隆は自分を追い込むことで理念が根源的な欲求と繋がっているか何度も確認している。
その根源的な欲望を達成する為には何だってやれよ、ということだ。

この本を読んで、村上春樹のねじまき鳥クロニクルの戦時中に井戸に放り投げられた男を思い出した。

2011/01/04

アエラの謎

テレ朝、韓国テレビ局に出資。日韓コンテンツ拡大狙う

アエラでは韓国の芸能人特集を必ず数ページやってて、何でかな、と思ってたけど、このための下地作りだったのかもしれない。