バートランド・ラッセル「西洋哲学史」、トマス・アクィナスのところ
以下引用 pp-450
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(トマス・アクィナス著「反異教徒汎論」について)
神について多くの事をいいうるのであるが、それらは全てある意味において、否定的な主張である。すなわち神の本性というものは、神がこうこうではない、ということを通してわれわれに知られるに過ぎない。
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ああでもない、こうでもない、というように否定的に神を定義することを、否定神学と呼ぶ・・・と東浩紀や佐藤優は言っていた。ホントか、と思ったらラッセルの著作にも同じような記述があるので、割とオーソドックスな考え方なのかもしれない。
東浩紀が否定神学に拘る理由は、彼の著作「存在論的、郵便的」によれば、ジャック・デリダの脱構築が否定神学を否定するものだから、だそうだ。
それに対して佐藤優の否定神学の興味は、ロシア正教の神に対する考え方が否定神学だからだ(文学界に載っていた)。彼はその考えに賛同している。
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ところで、否定神学的にしか定義し得ない対象とはなんだろうか?
恐らくは、言語で捉えられない対象だろう。