ラカンのシェーマRSIを村上龍「限りなく透明に近いブルー」に適応する
参考:現実界・象徴界・想像界
・三つの世界
限りなく透明に近いブルーは三つの世界が描かれている。仮にそれを想像の世界(想像界)、現実の世界(象徴界)、*世界*(現実界)と名付ける。想像の世界=リュウの都市、現実の世界=黒い鳥に覆われた世界、*世界*=ありのままの世界。
物語は、想像の世界が現実の世界に破壊され、絶望の渕にたたされたリュウが限りなく透明に近いブルーを通して*世界*を見る、という構成になっている。想像の世界はとても個人的なものであり、対する現実の世界はパブリックなものだ。
・二つのレンズ
物語において、黒い鳥はレンズのような働きをしている。それは*世界*を「現実の世界」に変換する役割を果たしている。そして限りなく透明に近いブルーは、黒い鳥のレンズで歪められた*世界*(現実の世界)を、もとに戻して、*世界*本来の姿で見る特殊なレンズである。
・想像世界対現実世界
黒い鳥に覆われた世界は、想像の世界を破壊するような力を持つ。物語内ではリュウの都市(想像の世界)を飛行機のジェット(現実の世界)が破壊する描写がなされる。
黒い鳥とは、システムのようなものだ。なので現実の世界とは、システムに覆われた世界を表している。村上春樹における綿谷昇(ねじまき鳥クロニクル)や壁(世界の終わりとハードボイルドワンダーランド)に相当する。システムとは具体的には、学校、会社、経済、就職活動、社会、言語、等。
現実の世界の本質はシステムなので、意思を持っていない。現実の世界は、想像の世界を「そんなものあってもなくてもどうでもいい」というように、象がアリを踏みつぶすように悪意無く破壊することがある。
例えば、自分の好きな音楽をやって食べて行こうという思考が想像の世界で、結局売れないとかいうのが現実の世界である。この二つの世界の戦いには、鶏と卵のような側面がある。現実の世界へのカウンターとして想像の世界が生まれる事が考えられる。J・K・ローリングがハリーポッターのようなファンタジー(想像の世界)を書いたのは、恐らく生活の困窮(現実の世界)へのカウンターという側面もあっただろう。
・物語が生まれる場所
個人的な事柄VS世界の不条理という図式は良くあることで、やはり想像の世界と現実の世界のせめぎ合いから物語は生まれる(生まれ易い)のだと思う。そして、優れた強い物語は現実の世界の圧力を取り込んでさらに大きくなる想像の世界の働きから生まれるのだ、と思う。
・おまけ:*世界*は見えるか
ありのままの世界は見る事は出来ないはずだ。例えば、人間は言語を獲得したその時から言語の内部でしか考えることが出来ない。(言語=システム、黒い鳥)どこかに言語で表せないことがあるかもしれないが、言語を用いて思考する限りそれが「あるかどうかも分からない」。