2009/10/01

就職社会学

友人の受講している宗教社会学という授業に飛び入りで出席する。

宗教について、二種類の定義の仕方
・実質的定義 (substantial) :こういう属性を満たすものが宗教だ
・機能的定義 (functional) :こういう機能をもつものが宗教だ

機能的定義について、「自らに超越的意味を与えるもの」を宗教と呼ぶ。
かんたんにいえば、
「ああ、おれはこの為にいきているんだうあ〜」
「ああ、おれはこの為なら死んでもいいよう〜」

という文脈において、「この」にあたるものが宗教
本来生存とは無関係。しかし、生存を左右するリアリティをもったそれ
教授曰く、それは「宗教的」と表現できる。

(ex)
「ああ、おれはパソコンが無くなったら生きて行けないよう〜」
パソコン=宗教

 ぼくにとって、あるいはぼくの世代にとって、
宗教/神は物語の存在です。現実にぼくらの生存を左右するとは思っていません。
筑波大学の学生の中に、神の為に死ねる人間が何人いるでしょうか?あるいは思想の為に。
生まれ落ちたときから、しらけているのです。

 そんなぼくは、生存を左右するリアリティを「宗教的」と表現することに違和感を感じるんです、教授!言葉が逆流しています!

 ところで教授、ここにペットボトルがありますね?これはぼくたちの文化圏では宗教的象徴ではありませんが、もしもある新興宗教が、「ああ〜ペットボトルさま〜神の御心ここにあり!」とか言い出して、勝手に神性を与えたとしましょう。それでその新興宗教がどんどん信者を獲得していったら、ペットボトルは現実に神性を獲得したと言えるのでしょうか?

 言えますか!あらゆるRealityはVirtual Realityにすぎない。Virtual RealityのRealityはそのVirtual Reality をRealだと信じる人数によって決定される。

 分かりました。では就職活動は宗教の機能的定義において宗教活動と言えるのではないでしょうか?何故ならそれは、
・わたしに意味を与える布石である(仕事、生き甲斐、そして超越的意味)
・わたしの生存を左右するリアリティを持つ(とりあえずお金がないと・・・)
・以上二点をRealだと感じる人間が多い(信者が多い)