2010/06/05

文系のヘタレは女の子に敵を倒してもらおう!

思想地図 vol4、戯言シリーズ、ねじまき鳥クロニクル、その数学が戦略を決める、宮台真司の「真理の言葉、機能の言葉」等の感想

1. 女の子に敵を倒してもらう
戯言シリーズのいーちゃんは自分は口先三寸で何もしない。女の子に敵を倒してもらう。
ねじまき鳥クロニクルにおいてラスボスは主人公の妻クミコによって倒される。そのとき主人公は井戸に潜ってホテルがどうとか壁がどうとか意味不明なことを言っている。

2. ワインの値段
経済学者オーリー・アッシェンフェルターは統計と数学モデルによってワインの値段をデータに基づいて決めようとした。つまり専門家のテイスティングによって主観的に決まる価値とは違う指標を用いた。

3. 文学部、哲学科。あるいは社会学科
マルクス主義を学んで何になる。芥川龍之介を研究して将来何の役にたつ。就職どうしよう。

4. 考察
数理的な知に対して、人文学的な知、というものは、現実社会に置いて無力というほかない、と思われてきた。実際芥川龍之介の憂鬱は就活生の自己目的化した憂鬱に衒学的色彩を添えることしかできないだろう。先のワインの値段も、結局はオーリーの数理的手法が、専門家の感性(笑)を凌駕したのだった。
しかし人文学的な知は市場において無力ではない。ワインの値段が専門家によって「不当に高く」評価されていたのは、その「人文学的な知」、つまりワイン市場とそれに携わる人の歴史や経験、正確に言えば歴史や経験によって消費者に伝わるワイン業界が文化的に優れていて大枚をはたくだけの価値があると思わせる何か、によってレバレッジがかかっていたからだ。
「草原に吹く風のような味・・・」
ばかばかしい戯言にすぎない。しかし、それは価値を生む言葉。
しかしカリスマの無い人間の言葉は他人を動かせない。そこで人文的な知に信頼性を担保してもらう必要がある。まるで敵を女の子に倒してもらういーちゃんや綿谷昇のように。
それはどこまでも衒学的なものにとどまるかもしれない。しかし学者志望で無ければそれでいい。もしも「人生における目標のようなもの」があるならば、マルクスでも芥川でも詩的表現でも何でも使って言葉にレバレッジをかけ続け、それに近づいていけばいい。