村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」
システム対人間という村上春樹作品のテーマ
「それの要素であるわたしはそれを内包している」
ぼくの想像するシステムは、上に書いたような相互入れ子状態だけど、村上春樹はそうじゃないみたいだ。
海辺のカフカなんかは(善悪?)二元論だけど、この作品だともう少し複雑だ。
完全な閉じた輪としての系は主人公の内部に存在していた。
でもそれは完全であるが故間違っていた、ということだ。
心を意図的に(?)消すという事で変化の無い永遠を得るっていうのはちょっとまずい、と。
でもやっぱりこの世界観はファンタジーだ。別名、論理を欠いた三段論法
それでもいいのかもしれないな。この本面白いし
でもぼくはもっとリアルな生生しさが好きだ
主人公は言う
「心は本質であり切り離す事は出来ない」
———町の壁は人工的なものであり、それは町の(系の)本質だ。完全なものは閉じていなければならない。
社会システムはいろんな意味で完全ではないし、そうはなり得ない。
何故か?
システムの構成要素が不安定だからだ。
それはわたし(たち?)のアイデンティティが相対的という所に根ざしている。
自分の存在理由は、時と場合で変わってしまう
空転する自我を抱えた人間が構成する社会は生まれたときから不安定なはず
そんな中でぼくたちはわたしたちの落し子であるシステムに翻弄され続ける
村上春樹はこの作品中でそれを「壁」と表したけど、ぼくはそうは思わない
それは波であり、ぼくたちは水のようなものだ