2009/11/07

果ての宇宙

宮代真司、大塚英志、芥川龍之介。

***メタ化***

 ある種の人間にとって、対象のメタ化という対処は簡単なものだ。対象に深くコミットする事無く・・・対象にコミットする人間と共通の幻想を見る事無く・・・集団を動かしているものが幻想であると認識し、行動する。それは、幻想の共有による一体感からの断絶の孤独を乗り越えれさえすれば、本当に簡単な事だ。
(例:吹奏楽部の振り付け満載の一生懸命な演奏を見て:あーあ、なにやってんのあいつら。くだらねーな、おれはあんなのできないもんね。やってらんないもんね。)
 しかしやはり人間と他者を結びつけているものは幻想なのだと思う。それを全てはぎ取って/メタ化してしまえば、そこには死んだ宇宙のような理性の世界が広がっているだけだ。そこでは人間は無機的な有機物でしかない。

***援助交際する女子高生***

 援交する女子高生は成長して心を病むことが多いという。
 冷たい理性の世界においては理由無き行為があるだけだ。幻想は、その行為に理由を、物語を与えるシステムとして機能する。愛の為の性交、生殖の為の性交、金の為の性交。
 物語が無ければ、行為はどこまでも空しいものだ。物語を少しでも疑うことは、張りつめた風船に穴をあける事に他ならない。後に残るのは虚無、あるいは虚無感だけだ。
 彼女たちは、金の為の生殖という物語を信じきれなかったからかも知れない。その燻る虚無感が、彼女たちの心をスポイルしたのかもしれない。ぼくは援交する女子高生では無いので想像でしか無いけれど。

***芥川龍之介***

 芥川龍之介は、微笑や反語を落としながら真っすぐに太陽に向かって昇っていった。微笑も反語もメタ化の態度だ。対象より高次に位置しなければとれない態度。彼の精神は太陽に翼を焼かれて墜落したのかもしれない。あるいは真空の高みに達した精神の幻想に、未だ地を這いつくばる肉体が窒息したのかもしれない。とにかく死んでしまった。絶望は人を殺すかもしれないが、行き過ぎたメタ化も人を殺すのだ。

 幻想は悪ではない。メタ化は善ではない。

***死んだ宇宙で生きていく為に***

 自らに幻想を与え続けること。
 死んだ宇宙に恒星を生み出し、星座を作り続ける。そしてその宇宙の神話的幻想をどこまでも信じること。信じて踊り続けること。そしてそれを誰かと共有すること。