2009/12/06

老人と海

アーネスト・ヘミングウェイ「老人と海」

 それは偏在する苦悩だった。いつでも、どこでも、それはふとわたしの目(?)をかすめるように現れ、心を掻き乱してゆくのだ。
 わたしはそれと戦い続けた。

 その戦いが歴史性を帯びるほど長い間続いた為に、わたしは、それはわたしとは不可分のものなのではないか、そう考えるようになった。

 わたしに属していながらわたしを苛むそれ。
 わたしの精子とわたしの卵子が受精しわたしに着床しわたしの血液から栄養を得てわたしが空気の中に出産したそれ。

 それはわたしの子供ではないか、そう考えるようになった。

2009/12/03

翻訳

川田順造:レヴィ・ストロース「悲しき熱帯」訳者
二十二年ののちに–––レヴィ・ストロースにきく–––
以下引用

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 だが、長い間断続して作業を進めるにつれ、自分のフランス語と日本語の未熟を感じる度合いだけが強まり、それに、どんなに頑張ってみても、翻訳とは所詮、双曲線と軸のように決して交わる事の無い近似的な作業に終わるという、自明の事実についての絶望感が募ってくる。

 そうこうするうち、未完の訳稿を抱えたまま私も馬齢を重ね、訳し終えた今年の春には、レヴィ・ストロースがこの本を書いた四十七歳にあと五年で届くという年齢になってしまった。それでもなお私は、この著者のフランス語の老成した手応えを日本語に移し替えるには遠く及ばず、自分の老い足りなさに足摺りしたい程のもどかしさを覚える・・・・・・。
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 この文章は、謙遜ではないだろう。生々しい苦悩を感じる。翻訳の辛さなど、今まで考えた事も無かった。

2009/11/07

果ての宇宙

宮代真司、大塚英志、芥川龍之介。

***メタ化***

 ある種の人間にとって、対象のメタ化という対処は簡単なものだ。対象に深くコミットする事無く・・・対象にコミットする人間と共通の幻想を見る事無く・・・集団を動かしているものが幻想であると認識し、行動する。それは、幻想の共有による一体感からの断絶の孤独を乗り越えれさえすれば、本当に簡単な事だ。
(例:吹奏楽部の振り付け満載の一生懸命な演奏を見て:あーあ、なにやってんのあいつら。くだらねーな、おれはあんなのできないもんね。やってらんないもんね。)
 しかしやはり人間と他者を結びつけているものは幻想なのだと思う。それを全てはぎ取って/メタ化してしまえば、そこには死んだ宇宙のような理性の世界が広がっているだけだ。そこでは人間は無機的な有機物でしかない。

***援助交際する女子高生***

 援交する女子高生は成長して心を病むことが多いという。
 冷たい理性の世界においては理由無き行為があるだけだ。幻想は、その行為に理由を、物語を与えるシステムとして機能する。愛の為の性交、生殖の為の性交、金の為の性交。
 物語が無ければ、行為はどこまでも空しいものだ。物語を少しでも疑うことは、張りつめた風船に穴をあける事に他ならない。後に残るのは虚無、あるいは虚無感だけだ。
 彼女たちは、金の為の生殖という物語を信じきれなかったからかも知れない。その燻る虚無感が、彼女たちの心をスポイルしたのかもしれない。ぼくは援交する女子高生では無いので想像でしか無いけれど。

***芥川龍之介***

 芥川龍之介は、微笑や反語を落としながら真っすぐに太陽に向かって昇っていった。微笑も反語もメタ化の態度だ。対象より高次に位置しなければとれない態度。彼の精神は太陽に翼を焼かれて墜落したのかもしれない。あるいは真空の高みに達した精神の幻想に、未だ地を這いつくばる肉体が窒息したのかもしれない。とにかく死んでしまった。絶望は人を殺すかもしれないが、行き過ぎたメタ化も人を殺すのだ。

 幻想は悪ではない。メタ化は善ではない。

***死んだ宇宙で生きていく為に***

 自らに幻想を与え続けること。
 死んだ宇宙に恒星を生み出し、星座を作り続ける。そしてその宇宙の神話的幻想をどこまでも信じること。信じて踊り続けること。そしてそれを誰かと共有すること。

2009/10/25

老年のマルクス経済学者、朝の教壇に立ち我々に語る

 「このように、資本主義社会においては企業/固定された資本の破壊と創造がその原動力となっています。このダイナミズムが、急速な発展を可能としたのです。
・・・・・・しかしわたしが資本主義を嫌いな理由が、ここにあるのです。自転車のように漕ぎ続かなければ、発展はおろか、安定さえしないこのダイナミズム。最後の最後、最後とはどういう状態か分かりませんが、とにかくその時まで、わたしたちは否応なしに回転しつづけるしかありません。」

2009/10/24

あてどなくさまよう大学生

村上春樹「羊をめぐる冒険」より以下引用

 その時僕は21歳で、あと何週間のうちかに22歳になろうとしていた。当分のあいだ大学を卒業できる見込みはなく、かといって大学を辞めるだけの確たる理由もなかった。奇妙に絡み合った絶望的な状況の中で、何ヶ月ものあいだ僕は新しい一歩を踏み出せずにいた。
 世界中が動きつづけ、僕だけが同じ場所に留まっているような気がした。1970年の秋には、目に映る何もかもが物哀しく、そして何もかもが急速に色褪せていくようだった。太陽の光や草の匂い、そして小さな雨音さえもが僕を苛立たせた。

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 この文章は、普通よりも長く大学に留まる人の心象を表した簡潔かつ正確なものだ。名文と言ってもいい。もっとも、この素晴らしい文章のような経験をすることは素晴らしいことでは無いかもしれない。

2009/10/14

学園祭

10月8日 木曜日
 台風来て過ぎる。午前中自転車に乗り走るが、壁のような風で前に進めない。
バンド練の為筑波へ向かう。五泊六日の予定なので荷物が多く、両手が塞がる。京浜急行に乗りながら野崎孝訳「ライ麦畑でつかまえて」を読む。村上春樹訳のものはすでに読んでいる。

 筑波に着く。台風後特有の存在感の薄い雲を見る。金木犀の強い香りを感じる。
 バンド練は滞り無く終わる。夜の学校では星が見える。宿泊先の河合君の家へと向かう。

10月9日 金曜日
 一年生最後の朝練を河合君と見に行く。
 練習後、こばみちゃんとBLや太宰治について話す。その所為か、駆け込み訴えがとても読みたくなり、図書館に行って読む。
 12時にD室に戻り、君に届けを読む。その後、会場準備に参加する。

 会場準備が一段落した頃、こばちゃんとモスバーガーに行く。客はぼくたちだけで、出てきた料理は全て作りたてのようだ。ポテトが普段よりおいしく感じる。
 車内では、オーケンが「彼女を捨てた俺の罪」と歌っている。

 会場に戻り、スプーンとフォークの先端をナプキンで包む作業をひたすら続ける。単純作業に見えて、綺麗に包むのはなかなか難しい。特にスプーンは、面が大きく、曲がっているので立体的に捉えないと余計な皺が出来る。

 河合君とココスへ行く。前夜祭には行かずに寝る。

10月10日 土曜日
 学園祭一日目。ミーティングに出た後、研究関連のやり残した仕事を片付けに図書館へ向かう。外は騒がしいが、図書館は静かだ。

 12時から一年バンドを見る。その後いくつかバンドを見る。

 解散した後、学校へ。みんな今日の片付けをしている。ライ麦畑でつかまえてを読む。ホールデンが学校を飛び出し、変態ばかりのエドモント・ホテルに泊まるシーン。

10月11日 日曜日
 学園祭二日目。朝は田島君と一緒にスタバへ。田島君はラテを、ぼくはチャイティーラテを飲む。話しているところ、いでまりちゃんと合流。彼女にイタリア流ナンパの仕方を教えてもらう。

 田島君と一緒に学園祭を歩く。出店の煙。服に匂いが付くだろうな、と思う。実際そうなる。
 キノコご飯を食べながら自主制作ラジオを聞く。内輪の恋愛の話題で、話の流れがつかめない。だが内部事情を知っている人にとっては面白いのだろう。ぼくたちの意思とは無関係に、池のほとりの吹奏楽部は楽しげな音楽を垂れ流し続ける。

 河合君、村戸君と合流する。壊滅的手芸屋で手足の長いオレンジの人形を買う。指サックも買う。

 いでまりちゃんと合流する。大学会館北側に座る。斜めの芝生を転がる。

 解散した後、河合君、田島君、しばけんと一緒にココスへ行く。カキフライとドリンクバーを注文する。始めにラテを飲む。ご飯に全く合わない。次にアップルティー、最後にアールグレイ。

 深夜、帰ってきた大宮君と話す。将来についていろいろ考える。

10月12日 月曜日
 学園祭最終日。バンド出演する。 Question and Answerの後テーマを忘れる。
 ゆみちゃんが来る。河合君のバンドを見る。

 ゆみちゃん、サイさんと一緒に芸専ゲイバーへ行く。「成りきっている」ゲイに接客される。ぼくたちは人見知りが災いしていまいち乗れない。店を出る頃には、三人とも違和感に疲れていて、抽象的な問題を考え始める。

 ペットボトルのそば茶を飲む。ベビースターラーメンの味がする。ハーゲンダッツとは合わない。

 打ち上げを少しさぼり、学祭後の学校を端から端まで歩く。
 刹那的な気分のまま研究室でコーヒーを飲み、打ち上げへと向かう

2009/10/06

風景と心象

明治学院大学へ行くには、戸塚駅からバスに乗ることになる

肌寒く、雨が降っていた
歩道橋が巡らされたバスターミナルを見ると、高校時代を思い出した


この高校を感じさせる場所のすぐ近くに大学があるという事が何故か微笑ましかった
ここでは高校と大学が連続的に繋がっているような気がした

見知らぬ土地の遠い大学に行かずに、このこじんまりとした横浜界隈の大学に行くのも、悪くはなかったかもしれない

風景、というよりも、風景の断絶は、人の心象の時間的な連続性も切り取ってしまうのだろう

ぼくがいずれ筑波からずっと離れるときが来たら、
筑波はぼくにとって特別な象徴になるはずだ