「世界革命!プリキュア」
ディー室に渦巻く罪
暴食(誰かのおみやげをいくつも食べる)
色欲(ハーレムバンドばっか組む)
強欲(譜面立を同時に二つ使って作業)
怠惰(毎日同じ服を着てドラムをたたきにくる)
嫉妬(同級生女子を先輩に誘惑された一年生男子)
傲慢(ジャズってかっこいい、ジャズやる俺もかっこいい)
憤怒(合唱団むくどり)
革命する3人のプリキュア!
キュア自由、キュア平等、キュア博愛
憤怒(むくどり)以外の罪をひとしきり踏んだ後ギロチンにかける。
「自由と平等と博愛の精神に照らし合わせるとぶっちゃけありえない!」
全員倒したあと、ディー室に革命的な瞬間が訪れる
そこにはむくどりがのびのびとさえずるサンクチュアリがあったという
エンディングテーマはラ・マルセイエーズ(アカペラ)
2011/02/16
2011/02/15
村上隆と理念について
村上隆 「芸術起業論」
村上隆さんはとてもしたたかな人だ、とぼんやりと思っていた。しかしそれは、こっぱずかしいとも言える人生上の問題から–––おれって何なんだろう、とくよくよ悩む中高生のような、沢山の人が素通りしてしまうようなものがエンジンとなっている。
自分も薄々気付いておきながら素通りしそうになっていたが、理念というのは、ある種のひとびと、コーヒーを好んだり、本を横向きに積み上げる癖があったり、自分の悩みと宇宙の大きさを比べておれはなんとちっぽけなんだと考えた次の瞬間に俺は自分を騙してはいないか?と疑うようなひとびとには大事なのだと思う。
理念の設定に正誤は無い。あくまで立場の問題だ。人参は食べるがピーマンは拒否する、というのと変わらない。
なので理念設定は自分の欲望に従うのが自然だ。しかしそれは易々と見えるものでは無い。村上隆は自分を追い込むことで理念が根源的な欲求と繋がっているか何度も確認している。
その根源的な欲望を達成する為には何だってやれよ、ということだ。
この本を読んで、村上春樹のねじまき鳥クロニクルの戦時中に井戸に放り投げられた男を思い出した。
村上隆さんはとてもしたたかな人だ、とぼんやりと思っていた。しかしそれは、こっぱずかしいとも言える人生上の問題から–––おれって何なんだろう、とくよくよ悩む中高生のような、沢山の人が素通りしてしまうようなものがエンジンとなっている。
自分も薄々気付いておきながら素通りしそうになっていたが、理念というのは、ある種のひとびと、コーヒーを好んだり、本を横向きに積み上げる癖があったり、自分の悩みと宇宙の大きさを比べておれはなんとちっぽけなんだと考えた次の瞬間に俺は自分を騙してはいないか?と疑うようなひとびとには大事なのだと思う。
理念の設定に正誤は無い。あくまで立場の問題だ。人参は食べるがピーマンは拒否する、というのと変わらない。
なので理念設定は自分の欲望に従うのが自然だ。しかしそれは易々と見えるものでは無い。村上隆は自分を追い込むことで理念が根源的な欲求と繋がっているか何度も確認している。
その根源的な欲望を達成する為には何だってやれよ、ということだ。
この本を読んで、村上春樹のねじまき鳥クロニクルの戦時中に井戸に放り投げられた男を思い出した。
2011/01/04
2010/11/22
リバタリアリズムと分析業務に隔たる矛盾
アマゾンの「オススメ」機能は、顧客の行動履歴から未来の需要を予測している。
何故こんなことをするかと言えば、もちろん利益をあげるためだ。
言い換えれば、利益を生む効果的なマーケティングには、顧客の行動履歴に基づく需要予測が必要だ(少なくともアマゾンはそうしている)、ということだ。
***
ところで、今のところ日本やアメリカはリバタリアンの国であり、個人(法人)における選択の自由と責任が重視されている。
***
行動履歴の分析を通したマーケティングは、個人(ターゲット顧客)の選択は過去の歴史に依存するという前提がなくては成り立たない。
利益最大化を至上命題とするリバタリアンたる法人が顧客分析を行い、それが一定の効果をあげているという事実は、多くの個人はリバタリアン足り得ないということを示しているのではないか。
つまり自身の選択は限りなく自由に見えて、その実、行動履歴に束縛されているのではないか。
あるいは、分析により行動が誘導されるのではないか。
何故こんなことをするかと言えば、もちろん利益をあげるためだ。
言い換えれば、利益を生む効果的なマーケティングには、顧客の行動履歴に基づく需要予測が必要だ(少なくともアマゾンはそうしている)、ということだ。
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ところで、今のところ日本やアメリカはリバタリアンの国であり、個人(法人)における選択の自由と責任が重視されている。
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行動履歴の分析を通したマーケティングは、個人(ターゲット顧客)の選択は過去の歴史に依存するという前提がなくては成り立たない。
利益最大化を至上命題とするリバタリアンたる法人が顧客分析を行い、それが一定の効果をあげているという事実は、多くの個人はリバタリアン足り得ないということを示しているのではないか。
つまり自身の選択は限りなく自由に見えて、その実、行動履歴に束縛されているのではないか。
あるいは、分析により行動が誘導されるのではないか。
2010/11/21
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